2025/04
露の身は ここかしこにて きえぬとも
こころはおなじ 花のうてなぞ
大意:【人の命は、露のようにはかないものいつどこで亡くなるか、わかりません。念仏する人は、必ず極楽の蓮華の台(うてな)の上に、生まれることが出来るのです。】
春を迎えると桜に導かれてお花見をする人たちが街に賑わいを創出してくれます。皆さまはお花見しましたか。
私は3月末に津田山にあります緑ヶ丘霊園で桜を見ることができました。霊園内もお花見の人とお墓参りの人で混雑していました。
お念仏、皆さまはどなたのためにお称えしますか。宗祖法然上人を思い、ご先祖様を思いまた自分自身の往生を願う。どれもありがたいですね。
花に降りた朝露は美しく輝いています、それもいつかは消えてしまう。その露と同じで私たちの命もいつ終わりかわからない、はかないものですがその別れが全てではないのです。お念仏称えた私たちは阿弥陀様に導かれ極楽浄土の蓮華の台(うてな)の上で再会できる。とてもありがたいことです。
どうぞお念仏を称える際には阿弥陀様よろしくお願いします。お任せしますというお気持ちでご先祖様に対してはお疲れさまでした、お見守りくださいというお気持ちでそして、自らの往生を願うお念仏をお称えいただくことが良いのではないでしょうか。
(宮林 成彦)